ベル雑記

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足るを知れば幸せになれる|ハイスペックを求めて失敗する本当の理由

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最近、婚活中の知人から「年収800万以上じゃないと無理」という話を聞いて、ふと考えたことがある。その人は優しくて誠実なのに、なぜか幸せそうに見えなかった。

 

また、なぜ条件を下げたくない人ほど、結婚した後に『こんなはずじゃなかった』と後悔するのか?

 

理想のパートナー像を追い求めることは悪いことではないと思う。ただ、自分が見てきた限りでは、その追求が不幸の始まりになっているケースも少なくない気がしている。

 

「足るを知る」という古い言葉が、実は現代の恋愛や結婚において最も重要な知恵なのかもしれない。​

 

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ハイスペックを求める人に起こる矛盾

サポートはしたくない?高年収を求めるが、そのコストは払いたくない

高年収や高能力を求めながら、それを維持するためのサポートはしたくないという矛盾があるように感じる。高収入は結果であって、その裏には徹底した努力とサポート体制があるはずだ。

年収800万円以上の男性の約60%が「配偶者の家事・育児負担に依存している」というデータもある。​

 

結果だけを求めて、プロセスに関与したくないという姿勢は、もしかすると相手を「便利な道具」として見ているのかもしれない。高スペックという条件を求めるなら、その条件を維持するコストを理解し負担する覚悟が必要な気がする。それができないなら、条件ではなく人間性で相手を選ぶ方が幸せなのではないだろうか。​

 

自分の経験から言えば、婚活市場では「欲しい条件」を語る人は多いけれど、「自分が何を提供できるか」を考えている人は意外と少ない印象がある。

 

能力差が生む認識のズレ

高収入・高能力者は、自身が当たり前にこなせることを相手もできると無意識に期待してしまうのではないかと思う。メンタル・フィジカル・知的能力の差により、「家事で疲れた」という言葉が理解できない状況が生まれるのかもしれない。これは相手を尊重していないというより、本当に「なぜ?」と不思議に思ってしまう認識の断絶なのだろう。​

 

能力差が大きすぎると、「当たり前」の基準が違いすぎて互いにストレスになる気がする。高収入側は相手の限界が理解できず、低収入側は期待に応えられず劣等感を抱く。この認識のズレが、後に「モラハラ」として表面化する問題の種になっているのかもしれない。​

 

時間が暴く価値の非対称性

減価する資産と増価する資産の違い

容姿は20代がピークで、時間とともに確実に価値が減少していくように見える。経済学的に言えば、これは減価償却資産に近いのかもしれない。若さという「チート能力」で高スペック層へのアクセス権を得ても、その価値は時間とともに失われていく。​

 

一方、高スペック側は時間とともに価値を蓄積していくように思える。専門性・人脈・経済力・社会的信用は、適切に投資し続ければ複利的に増えていく可能性がある。最初は見た目に惹かれてパートナーを選んだとしても、その魅力が時間とともに薄れると「自分がこの人に気を遣う理由」が見えなくなってしまうのではないだろうか。​

 

自分は価値を増やし続けているのに、相手は価値を失い続けている。この非対称性が「釣り合わない」という感覚を生み、浮気や関心の喪失に繋がるのかもしれない。結婚満足度は10-24年で最低になるというデータがあるが、これはまさに容姿的魅力が衰え、内面的価値の差が顕在化する時期と重なる気がする。​

 

15歳で2億円もらう人、15歳から分割払いの人 神様からのプレゼントの受け取り方

これはあくまで傾向の話で、全員ではないが女性は15歳前後で女性的な体つきになった瞬間、社会的価値が一気に付与されるように見える。周囲から「かわいい」「偉い」と言われ、特別扱いを受ける人生が始まるのかもしれない。これは努力なしに得られる巨額の「先払い」のようなものではないだろうか。神様から2億円を一括支給されたようなイメージだ。​

 

一方で男性は15歳で1万、16歳で3万というように、努力に対して徐々に対価が支払われるパターンが多い気がする。筋力や体力、スキルや経験は、投資と努力の積み重ねで増えていく。最初は少額だが、複利的に増えていく仕組みなのだろう。​

 

 

一括で与えられた価値は、実は減価償却資産なのに、増価資産だと錯覚してしまうのかもしれない。何もしていないのに価値が与えられると、「自分には価値がある」という感覚だけが残り、「なぜ価値があるのか」「どうやって維持するのか」という認識が育たない可能性がある。10代から特別扱いされ続けると、それが「自分の実力」だと勘違いし、天狗になってしまうのはほぼ必然なのではないだろうか。​

 

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自己評価の歪みを示すサイン

本質的な指摘への耐性の低さ

「足るを知る」ことができない人の特徴は、本質的な指摘に対する耐性の低さにも現れる気がする。自分の市場価値を客観的に指摘されたとき、相手との能力差を具体的に示されたとき。こういった場面で、自己反省して変わろうとするか「傷ついた」「ハラスメントだ」と相手を責めるかで分かれるのではないだろうか。

 

「もっと優しく言ってほしい」という要求は、一見正当に見える。しかし、本質的な問題から目を背けるための防御反応になっている可能性はないだろうか。一括支給型の価値に依存してきた人は、改善のための指摘を攻撃と受け取りやすいのかもしれない。​

 

ハイスペックと結婚したいなら、ハイスペックが求める基準に耐える必要があると思う。その基準が厳しいと感じるなら、それはあなたに合っていない証拠なのではないだろうか。「優しく扱ってほしい」と思うなら、優しく扱ってくれる、あなたに近いスペックの相手を選ぶ方が幸せな気がする。​

 

マッチングアプリが象徴する「評価する視点」

マッチングアプリは「現在の状態」だけを評価する仕組みだと感じる。年収、見た目、年齢という数値化できる条件だけで判断される。これは本質的に「相手を評価する」「相手を下に見る」ところから始まっているように思える。自分が審査員で、相手が応募者という非対等な関係なのだろう。​

 

条件で相手を選ぶということは、相手の価値を「測定する」立場に自分を置いているのかもしれない。「自分より下」を探しているのか「自分より上」を探しているのか、いずれにせよ上下関係が前提になっている気がする。相手の可能性や内面、成長性といった「見えない価値」を無視しているのではないだろうか。​

 

「今の状態」だけで判断し、「これから共に築く未来」を想像していない。この「評価する視点」こそが、幸せな関係を遠ざけている本質的な原因なのかもしれない。

 

なぜモラハラ被害が発生するのか

具体例で考える 会社の業績が一気に悪化したとき

例えば、勤めている会社の業績が急激に悪化して「このままだと数年以内に倒産するかもしれない」とわかったとする。全体を俯瞰しているハイスペックなパートナーは、すぐに「転職しよう」「引っ越してでも条件のいい仕事を取りに行こう」と提案するかもしれない。収入の確保、子どもの進学、住宅ローンなど、先のリスクを全部踏まえたうえでの決断だ。

 

でも、その話を聞いたロースペック側が「でも、引っ越しは大変じゃない?」「子どもの学校はどうするの?」「友だちとも離れちゃうし…」と、今の生活を手放すことへの不安だけでブレーキをかけてしまうことがある。将来の生活が崩れるという本質的な危機よりも、目の前の面倒くささや不安のほうが大きく感じられてしまうのだと思う。

 

そこで、先に危機を見ている側が思わず「うるさいな!お前も子どもも守りたいから言ってるんだよ。引っ越しが大変なのなんてわかってる上で言ってるんだよ!」と強く言ってしまうこともあるだろう。

 

この言葉を、「家族を本気で守ろうとしている必死さ」と受け取るか、「配慮のない暴言」と受け取るかで、その後の関係は大きく変わってしまう気がする。本人としては最善策を必死で提示しているつもりなのに、その背景まで共有できていない苛立ちがぶつかっているのかもしれない。

 

改善要求とモラハラの境界線

ハイスペック側は「改善要求」をしているだけなのに、受け手は「モラハラ」と感じるケースがあるように思う。ハイスペック側は、自分が当たり前にできることを相手にも求めているだけで、パフォーマンス向上のための合理的な要求だと考えているのではないだろうか。​

 

一方、ロースペック側は、できないことを要求され続ける苦痛を感じているのかもしれない。自分の価値を否定されている感覚、精神的に追い詰められるモラハラだと受け取る。この齟齬が生まれるのは、双方の「できて当たり前」の基準が違いすぎるからだと思う。​

 

ハイスペック側は自分の価値観を押し付けているつもりはなく、ロースペック側は境界線を引けずに受け入れてしまう。双方とも悪気はないのに、構造的に不幸が生まれる。これが「ハイスペックを求める人がモラハラ被害に遭いやすい」理由なのかもしれない。​

 

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共感では大切な人は救えない

「でも、大変じゃない?」という言葉の背後にあるのは、共感を求める姿勢なのではないだろうか。「そうだね、大変だね、でも一緒に考えよう」という反応を期待している。しかしハイスペックが提供しているのは、共感ではなく解決策なのかもしれない。それは冷たさではなく、本気で家族を守ろうとする愛情の形だと思う。

 

会社の業績が悪化したり、将来の生活が危うくなりそうなとき、「不安だね」「つらいね」とお互いに共感し合うだけでは、状況そのものは変わらないことが多いと思う。どこかのタイミングで「じゃあ、こうしよう」「必要なら転職も引っ越しも含めて動こう。手続きは私がやるよ」と具体的な行動に踏み出すことが、本当に相手や家族を守ろうとする愛の形に近いのかもしれない。

 

 

自分の感覚では、いわゆるハイスペック寄りの人が提供しがちな愛情は、共感よりも「問題解決」や「環境を変える」という解決型のものになりやすい気がする。それを「冷たい」「優しくない」と感じるなら、その人が悪いというより、あなた自身が求めているのが共感型の愛なのかもしれない。

 

もしそうなら、解決策をバンバン出してくる相手よりも、「話を聞いてくれる」「隣で一緒に悩んでくれる」タイプの人と組んだ方が、結果的には心が満たされやすいのではないだろうか。どちらのスタイルが優れているかという話ではなく、「自分はどんな愛情表現に一番安心するのか」「相手はどんな形でしか愛を出せないのか」という、相性やマッチングの問題として考えると少し楽になる気がしている。

 

 

ハイスペックと幸せになれる人の条件

必要な覚悟 めちゃくちゃ根性が要る

ハイスペックなパートナーと一緒に生きていけるのは、「わかった。じゃあ転職しよう!引っ越そう。必要な手続きは私が進めるね」と、腹を括って一緒に動けるタイプの人なのかもしれないと感じることがある。

 

相手の判断を「自分より少し上の視点から見えているもの」として信頼し、目の前の面倒くささよりも、先に来る大きなリスクやメリットを優先して動ける人。言われたことにただ従うというより、「そこまで言うなら一緒にやろう」と自分からギアを上げてサポート側に回れるかどうかがポイントなのかなと思う。​

 

冷静に考えると、これはかなりの根性がいる。自分の判断より相手の判断を一度優先してみる謙虚さ、環境がガラッと変わるような決断にもついていく体力とメンタル、「大変だよね」と言いつつ、最後は「でもやろう」と言い切る覚悟。さらに、相手が高い目標を掲げ続けるタイプなら、その期待にある程度応え続けるプレッシャーにも耐えなければいけない。

 

そう考えると、ハイスペックな人とパートナーを続けるのは、どこかで自分自身も「常に更新され続ける側」に回る必要があるのかもしれない。​

 

ハイスペック側は、多くの場合「努力→成果」のプロセスで今のポジションを取ってきているので、「やればできるでしょ」「なぜ動かないの?」という感覚を素で持っていることが多いように見える。そこに対して「いや、それがしんどいんだよ」と感じる側との温度差は、どうしても出やすい。お互いが悪いわけではなく、「努力や変化に対する前提」が最初から違うだけなのだと思う。​

 

それができないなら、合っていないだけ

もし「そこまでしてついていく自信はない」「正直、もっと穏やかな生活がいい」と感じるなら、それはハイスペックを求める資格がないという話ではなく、単に相性の問題なのだろう。自分と同じ速度で考え、同じぐらいのリスク許容度で、「今の生活も大事にしながら、少しずつ良くしていこう」と言い合える相手と組む方が、現実的には幸せになれる可能性が高い気がしている。​

 

「会社が危なそうだね」「この先どうなるんだろうね」と、危機を前にしながらも「でも一緒にいると落ち着くね」と笑い合える関係も、それはそれですごく尊い。高スペックではなくても、お互いの弱さや不完全さを責めずに済む相手の方が、長い目で見れば心が楽だという人も多いはずだ。完璧な条件をそろえたパートナーより、「ここがダメなんだよね」と笑いながらも、それでも一緒にいる理由が残る相手の方が、実はかなり貴重なのかもしれない。​

 

ハイスペックを追いかけて自分ばかり消耗していくぐらいなら、今そばにいる人の良さをもう一度丁寧に見直してみる方が、トータルでは賢い選択なのかもしれない。自分自身も含めて、「何を求めるか」より「どこまで背負えるか」を一度落ち着いて考えてみると、見える景色が変わってくる気がしている。​

 

本当の幸せは、もっと近くにある

見落としている幸せに気づく

高スペックを追い求める間、あなたのことを大切に思っている人の価値を見落としていないだろうか。あなたに近いスペックの人、心優しい人、あなたの不完全さを受け入れてくれる人。そういう人たちの価値を、もう一度見直してみてほしいと思う。​

 

互いの「できて当たり前」が近いパートナーは、理解し合いやすい気がする。高スペックでなくても、尊重し合える関係の方が、長期的な幸福度は高いのではないだろうか。完璧な条件より、不完全な自分を受け入れてくれる相手の方が、実は貴重なのかもしれない。​

 

若さや容姿という一括支給された価値は、時間とともに減っていく。それを「高スペックと結婚するチケット」として使い果たすのではなく、「対等な関係を築く時間」として使う方が賢い選択だと思う。同じように一括支給を受けた相手と共に成長するか、増価資産を持つ相手と互いに補完し合うか。いずれにせよ、対等な関係こそが幸福の基盤なのではないだろうか。​

 

実際に結婚相談所を経営している方と話していて「近い価値観の人を選んだ方が長続きする」という話を聞いて、腑に落ちた経験がある。

 

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評価から発見へ 視点の転換


本当に幸せな人生とは、他人の良いところを見つけられる能力にあるのかもしれない。これは単なる綺麗事ではなく、科学的にも裏付けられた幸福の本質だと思う。相手を「評価する」視点ではなく、「発見する」視点に変えることが大切なのではないだろうか。

「この人は年収500万しかない」→「この人はこんな優しさを持っている」。「この人は見た目が普通」→「この人はこんな気遣いができる」。「この人は条件を満たしていない」→「この人と一緒にいると安心できる」。この視点の転換こそが、「足るを知る」ことの実践なのかもしれない。​

 

マッチングアプリの数値では測れない価値、一緒にいて安心できる感覚、互いの不完全さを受け入れ合える関係。それらの価値に気づけたとき、幸せはすぐそばにあったことに気づくのではないだろうか。​

 

足るを知ることで開ける道

自分の市場価値を客観視し、「今の自分に釣り合う相手」を受け入れることは、諦めではないと思う。それは幸せへの最短ルートなのかもしれない。自分が提供できる価値と、相手に求める価値のバランスを理解すること。高スペックを求めるなら、高スペックを支えるコストを理解し負担する覚悟が必要だと感じる。​

 

それができないなら、条件ではなく人間性で相手を選ぶ方が良いのではないだろうか。結局、「高年収が欲しいが、そのためのコストは払いたくない」という姿勢は、パートナーを「便利な道具」として見る発想なのかもしれない。これでは対等な関係は築けず、不満と支配の構造(モラハラ的状況)が生まれやすい気がする。​

 

「足るを知る」とは、諦めることではなく、本当に大切なものに気づくことだと思う。幸せは、完璧な条件を満たすパートナーを得ることではないのかもしれない。あなたを大切に思ってくれる人、あなたの不完全さを受け入れてくれる人、互いに尊重し合える人。そういう人の価値に気づけたとき、本当の幸せが始まるのではないだろうか。​

 

まとめ 幸せはあなたの近くにある

高スペックを追い求めることは悪いことではないと思う。でも、その追求の先に本当に幸せがあるのか、一度立ち止まって考えてみてほしい。マッチングアプリの数値、年収、見た目、年齢。それらは「現在の状態」を示すだけで、「未来の可能性」や「関係性の質」を示していないのではないだろうか。​

 

相手を「評価する」視点から、相手の「良いところを発見する」視点へ。この転換こそが、幸せへの第一歩なのかもしれない。あなたのことを大切に思ってくれる人、あなたに近いスペックで理解し合える人、心優しく支え合える人。そういう人たちの価値を、もう一度見直してみてほしいと思う。​

 

完璧な条件を満たす相手ではなく、不完全な自分を受け入れてくれる相手。高スペックではなく、対等に尊重し合える相手。「足るを知る」とは、諦めることではない。本当に大切なものに気づくこと。幸せは、もっと近くにあるのかもしれない。​

 

でも、もしどうしてもハイスペックがいいなら、相手の『解決型の愛』を理解できるだけの知性を磨くことが、最大の自分磨きになるのではないでしょうか。

 

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