
僕は40代半ばで無理に働かなくて良い状況になり、ある程度、欲しかったものは手に入った。
それなのに、完全に楽になったかと言われると、そうでもない。「次は何を目指す?」「もっと上があるんじゃない?」そんな声が、自分の中から聞こえてくる。いわゆる「ミッドライフ・クライシス」というやつかもしれない。
最近、自分は何者なんだろう、みたいなことをよく考える。
この記事は僕が「そういった悩みを持つ人達のコミュニティとかが作れたら...」と考えた話です。
- ミッドライフ・クライシスとは?
- 高卒の僕には何かを教える人には、なれないと思った
- それでも、皆が走り続けてきた重さは分かる
- 人生の目標に近づいたあとに来る、静かなモヤモヤ
- 僕には安全な「人生の山小屋」を作れないと思った。
- でも、ベンチなら設置できる気がした
- 座ると、少し息が整うだけの場所
- この生き方は、誰にもすすめられない
- それでも、ここまで来た景色は置いておける
- 人生という登山の途中にベンチがあること自体は、悪くない
- 今はまだ、「ベンチを置きたいと思っている」だけ
- もし、キャリアを見直したいと思ったら
ミッドライフ・クライシスとは?

ミッドライフ・クライシスとは、40代前後に訪れる、人生の意味や方向性に対する疑問や不安のこと。日本語では「中年の危機」とも呼ばれる。
主な症状や特徴としては、以下のようなものがある。
・達成感のあとに来る空虚感
・「このままでいいのか?」という漠然とした不安
・過去の選択に対する後悔
・次の目標が見えない焦り
・周囲との比較による焦燥感
何歳くらいで起きるかは人によるけど、だいたい40代〜50代前半に多いと言われている。
高卒の僕には何かを教える人には、なれないと思った

何かを成し遂げた人が、経験を語ったり、方法を教えたりする。それ自体は、すごく価値のあることだと思う。
でも自分は、正解を持っていない。他人の人生を保証できない。
工業高校を出て、新卒で入った会社もすぐ辞めて、阪神大震災の復興に関わる土木の仕事をして、8回くらい転職した。海外駐在で、極端な暮らしもいくつか見た。
そういう道を通ってきた自分が、誰かに「こう生きればいい」なんて言える気がしない。
そんな華やかな人生ではなかった。
それでも、皆が走り続けてきた重さは分かる

稼ぎたいとか、認められたいとか。そういう気持ちを否定する気にはなれない。
むしろ、それを燃料にしてここまで来たのは自分自身もそうだ。
だから「そんなの意味ないよ」なんて言える立場じゃない。
必死だったし、それなりに楽しかったし、必要な時間だった。
人生の目標に近づいたあとに来る、静かなモヤモヤ

ある程度、欲しかったものは手に入った。
それなのに、完全に楽になったかと言われると、そうでもない。
次は何を目指す? もっと上があるんじゃない? まだ走れるよね?
そんな声が、自分の中から聞こえてくる。
ゆっくりしていればいいはずなのに、ここまで生きるための燃料にしてきた「誰かに認められたい」みたいなものが、勝手にまた僕のガソリンタンクに注がれてくる。
もう別に誰にも認められなくてもいいはずなのに。
ふと誰かが言った「多くの人は何者にもなれない」という言葉を思い出した。
確かにそうだよな、と思った。
海外駐在で見た極貧の人々の暮らしに比べたら、日本で普通に過ごせているだけでもう大成功なはず。
今から頑張っても、大統領やイーロン・マスクにはなれない。
そう分かっているが何歳になっても比較の基準がぐらぐら揺れる。
僕には安全な「人生の山小屋」を作れないと思った。

ミッドライフ・クライシスに揺れる誰かの心を守る場所。雨風を防いで、ここにいれば大丈夫だよと言える場所。
僕には正直、そんなものを作る覚悟はないし、技量もない。
人生は危ういし、うまくいかないことも多い。自分自身、まだ揺れている。
自分は大成功したわけでもない。ただ、運よく走るのをやめる権利を掴めただけだ。
でも、ベンチなら設置できる気がした

ある日、友達と散歩をしながら話していた。
「複数人が人生という登山の最中に歩くのをやめて、『ベンチがあるからここでゆっくりしよう』って腰を下ろして談笑できるような、そんなコミュニティが作れたらいいなぁ」
そんなことを、漠然と口にした。
友達は笑いながら言った。
「いいことだけど、そうやってまた誰かのために何かをしたいってなってるんだねw」
確かに、と思った。
でも、そのツッコミがなんだか嬉しかった。ちゃんと理解してくれてる感じがして、少し楽になった。
家は作れないけど、ベンチくらいなら置けるんじゃないか。
ベンチは、何も教えない。行き先も示さない。
ただ、座っていい場所。
座ると、少し息が整うだけの場所

問題は解決しない。状況も変わらない。
でも、体の力が少し抜ける。
「まだ決めなくていいか」「今日はここまででいいか」
そう思える時間が、ほんの少し生まれる。
それだけで、十分な時もある。
時々、SNSのダイレクトメール等でブログ駆け出しの人から「稼げない、どうすればいいのか?」と相談されることがある。
話を聞くと、まだちゃんとした走り方が分からない状態で走っているように思えた。
「まずはしっかりブログの事を学んでから走り出したほうがいいと思います」
そう伝えた。
でも、自分自身もまだそこまで偉そうに言える立場じゃない。
ブロガーとして大して稼げてるわけではないのだから。
この生き方は、誰にもすすめられない

正直に言うと、今の自分の生き方を誰かに「いいもんですよ」とは言えない。
自由はある。でも、万能じゃない。
時間ができた分、考えなくてよかったことを考えるようになった。達成感のあとに来る空白や、「じゃあ次は?」という問いは、思っていたより静かで、長い。
だから「ここを目指せば幸せになれる」なんて言えない。
それでも、ここまで来た景色は置いておける
すすめられないけど、隠す必要もない気がしている。
ここまで来たら、こういう景色もあった。それだけ。
成功談でもないし、失敗談でもない。ただの、途中経過の雑感。
「こう感じる人もいる」という一例として、そっと置いておくことはできる。
最近、『パーティーが終わって、中年が始まる』という本を見かけた。
勢いのあった人生が、少しずつ減速していく感覚。
それを否定も美化もせず、瑞々しい感性で書き留めたエッセイだそうで、見事な言語化に救われる人もいれば、言葉にならない余韻だけが残る人もいるらしい。
読む人の年齢や立ち位置で、刺さる場所が変わる一冊だそうで、自分もいつか読もうと思っている。
人生という登山の途中にベンチがあること自体は、悪くない

登っている最中は、止まることが怖い。遅れる気がするし、置いていかれる気もする。
でも、途中にベンチがあるだけで、選択肢は増える。
座ってもいいし、座らなくてもいい。引き返してもいいし、また登り始めてもいい。
ベンチは、決断を迫らない。
今はまだ、「ベンチを置きたいと思っている」だけ

自分のまわりには、お金に困っている人たちが結構いる。
少しだけ楽になるヒントを渡せたらいいのにな、と思って、頑張ってしまう。
でも冷静に考えると、僕がそれをしてあげる義務はない。
ここまで自分は低スペックで生まれたけど、十分頑張ってきた。もう自分を楽にさせてあげたいとは思ってる。
葛藤まではいかないけど、モヤッとするくらい。
それでも、そういう場所を作りたいな、とは思っている。
雨風は防げないけど、走るのをやめた人が一度だけ腰を下ろせる。それくらいの距離感で。
まだ、ベンチを置けたわけじゃない。
でも、そうしたいと思っている。
それだけで、今は十分な気がしている。
もし、キャリアを見直したいと思ったら
もし本気でキャリアを見直したいと思ったら、ポジウィルキャリアという選択肢もある。
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