
もし明日、SNSが全部なくなったら。
いいねも、フォロワーも、再生回数も、全部見えなくなったら。
それでも、あなたは旅に出ますか?
それでも、あなたはテントを張りますか?
それでも、あなたは自分のために走れますか?
30年前、携帯もスマホもなかった頃。
自分は、スーパーカブ50で日本中を走っていました。
誰にも見せるつもりもなく、ただ自分のためだけに。
今日は、孤独を感じる時に気づいた「自分のための旅」の話をします。
- 若い頃の旅と、途中でやめた理由
- 深夜2時の足音|真っ暗なキャンプ場で感じた孤独
- 繋がれない時代の孤独|10円玉と公衆電話
- 44歳、9ヶ月の日本一周で気づいたこと
- 旅は、発信のためじゃなく、自分のためのものだった
- 孤独を感じる時、あなたはどうしますか?
- まとめ
若い頃の旅と、途中でやめた理由
当時、自分は20代で、お金もほとんどありませんでした。
大阪から鹿児島の佐多岬まで、下道だけで走る旅。
日本一周のつもりで出発しました。
装備はボロボロで、食事は食パンにマヨネーズをかけただけ。
夜はテントを張るか、橋の下で寝袋に潜り込む。
今思えば、ただの野宿です。
そんな旅を1ヶ月続けて、「ちょっとだけ休憩しよう」と実家に戻りました。
久しぶりの温かいご飯。

お母さんが作ってくれた普通のお味噌汁の匂い。
柔らかい布団。
そこで、ふと思ってしまったんです。
「自分は、何をやっているんだろう」
その瞬間、急に全部がバカバカしくなって、旅をやめました。
日本一周は、途中で終わりになった。
当時の自分には、その旅に「意味」が見つけられなかったんだと思います。
でも、なんでやめたんだろう?
その答えは、もう少し後になって分かります。
深夜2時の足音|真っ暗なキャンプ場で感じた孤独

旅の途中で、忘れられない夜があります。
真っ暗なキャンプ場。
管理人は夕方に帰ってしまい、自分以外に誰もいない。
ランタンの灯りを消して、寝袋に潜り込んで眠りについたはずでした。
深夜2時くらいだったと思います。
「ザッ、ザッ、ザッ…」という音で目が覚めました。
最初は風かなと思いました。
でも、耳を澄ますと、それは明らかに「何かが土の上を歩いている音」でした。
しかも、動物の軽い足音じゃない。
まるで、革靴でしっかり地面を踏みしめているような、人間の足音に聞こえる。

テントのすぐそばまで近づいて、少し離れて、また戻ってくる。
完全に、テントの周りをぐるぐる回っている。
頭では「きっと鹿だ」「動物だ」と言い聞かせる。
でも、身体はまったく動かない。
チャックを開けて外を確認しようとしても、その一歩が踏み出せない。
外を見た瞬間に、何かと目が合ってしまいそうで。
携帯もない。
助けを呼ぶ手段もない。
管理人もいない。

薄いテント生地一枚の向こう側に、正体不明の「何か」がいる。
その状況で、ただ息を潜めて、時間が過ぎるのを耐えるしかありませんでした。
体感では、1時間くらい続いていた気がします。
気づいたら足音は消えていて、朝になって外に出ても、何の痕跡もありませんでした。
あれが動物だったのか、人間だったのか。
今も、答えは出ていません。
でも、あのとき自分が感じていたのは、純粋な「孤独」と「恐怖」でした。
この夜の恐怖は、誰かに見せるためじゃない。
SNSに投稿することもない。
ただ、自分の中に残る「自分だけの体験」でした。
誰にもいいねされない、誰にも共感されない。
でも、だからこそ、この記憶は今でも鮮明に残っている。
これが、旅の本当の怖さであり、本当の濃さなんだと思います。
繋がれない時代の孤独|10円玉と公衆電話

当時は、今みたいに誰かと常に繋がっている状態じゃありませんでした。
旅に出たら、基本的に「独り」です。
キャンプ場に着いても、誰もいない。
管理人は夕方に帰ってしまうから、夜は完全に一人きり。
平日のキャンプ場は、本当に「宇宙」みたいでした。

ランタンの灯りが届く範囲だけが自分の領域で、その外側は真っ暗な未知の世界。
「自由」という言葉は聞こえがいいけれど、誰も見ていないし、誰も助けてくれない自由は、ときどき心細くなります。
何日も誰とも話さずに旅を続けていると、ふと分からなくなることがありました。
「自分は、何のために旅をしているんだろう」と。
石臼ですり潰されるような孤独感

ある人は、こう言っていました。
「石臼ですり潰されるような孤独感だった」と。
その表現が、すごく腑に落ちる。
一人でいる時間が長くなると、自分が少しずつ削られていくような感覚がある。
寂しくなったときは、公衆電話を探しました。
国道沿いの電話ボックスに入って、10円玉を何枚も重ねて持つ。
友人に電話をかける。
「おー、元気か?」
「今どこにいると思う?」
そんな他愛もない会話をしている間にも、「チャリン、チャリン」と10円玉が吸い込まれていく。
市外通話の時間制限はシビアで、話したいことがあっても、お金がどんどん減っていく。
「そろそろ切るわ」
「また帰ったら話そう」
電話を切ってボックスを出ると、外の空気がさっきより冷たく感じる。
でも、その「繋がれなさ」が、逆に目の前の景色や匂いを濃くしていた気がします。

今みたいに、LINEで常に誰かと繋がっている状態じゃない。
SNSで「今日はここにいます」と報告する場所もない。
ただ、自分だけが知っている景色、自分だけが感じている孤独。
それを誰かに見せることもなく、ただ抱えて旅を続けていました。
じゃあ、時代が変わった今はどうなんだろう?
44歳、9ヶ月の日本一周で気づいたこと

時代は変わって、スマホもSNSも当たり前になった頃。
自分は44歳になっていて、もう一度バイクで日本一周をしました。
今度は、9ヶ月かけて。
そのときは、発信もしていました。
写真を撮って、文章を書いて、誰かが「見たよ」とコメントをくれる。
昔にはなかった楽しさが、そこにはありました。

でも、テントを張って、湯を沸かして、眠くなったら寝る。
その根っこの部分は、30年前とほとんど変わっていませんでした。
9ヶ月走り切って、冬に家に帰ってきたとき。
「もう本気でキャンプとか旅とか行かなくていいかもしれない」と思いました。

やり切った、という感覚。
燃え尽きた感じもあって、「これで一区切りかな」と。
でも、春になって空気がやわらかくなってくると。
気づけばまた、テントを担いでバイクにまたがっていました。
なぜかは分からない。
発信したいから、とか、数字を伸ばしたいから、という理由じゃありませんでした。
ただ、あの孤独と自由が混ざった場所に、もう一度自分を置いてみたかった。
それだけでした。
旅は、発信のためじゃなく、自分のためのものだった

30年前の、宇宙みたいな孤独の夜。
10円玉がチャリンチャリンと消えていく電話ボックス。
深夜2時の、正体不明の足音。
そして、44歳で9ヶ月走ったあとに「もういいかな」と思ったのに、
春になったらまたバイクにまたがっていた自分。
全部まとめて振り返ってみると、やっぱりこう思います。
「旅は、発信のためじゃなく、自分のためのものだったな」と。
今のキャンプや旅は、発信とセットになっていることが多い。
誰かに見てもらうこと、いいねをもらうこと、フォロワーが増えること。
それはそれで、悪いことじゃないし、楽しいと思います。
SNSがあることで、旅の途中で励まされることもあるし、
誰かの「いいね」が、次の一歩を踏み出す力になることもある。

でも、その中に、少しだけでいいから、誰にも見せない「自分のためだけの旅」があってもいいんじゃないかと思うんです。
誰にも見せなくてもいい景色。
誰にも報告しなくていい夜。
誰にも理解されなくても、自分にとって意味のある時間。

そういう「贅沢な孤独」を、今の時代だからこそ、少しだけ大事にしてみてもいいのかもしれません。
もし、明日からSNSが全部なくなったとしても。
多分、自分はまた旅に出ると思います。
春になったら、やっぱりテントを担いでバイクにまたがる。
それは、誰かに見せるためじゃなく、自分がそうしたいから。
若い頃の自分が求めていたもの

若い頃、実家に帰って「何をやっているんだろう」と思った理由も、今なら分かる気がします。
あのとき自分が求めていたのは、「誰かに認められること」だったのかもしれない。
でも、旅は誰かに認めてもらうためのものじゃなかった。
ただ、自分が行きたいから行く。
自分が感じたいから感じる。
それだけでよかったんだと思います。
昔は良かった、と言いたいわけじゃありません。
今の便利さも、発信できる楽しさも、本当にありがたいと思っています。
ただ、どんなに時代が変わっても、
「自分のための旅」という核だけは、変わらずに持っていたいなと思うんです。
孤独を感じる時、あなたはどうしますか?

あなたにとっての旅は、誰のためのものですか?
もし、その答えのどこかに「自分のため」が含まれているなら。
その旅はきっと、それだけで十分に価値があるんだろうなと思います。
誰にも見せなくてもいい旅。
誰にも理解されなくても、自分にとって意味のある時間。
そんな「贅沢な孤独」のある旅を、今の時代だからこそ、少しだけ大事にしてみてもいいのかもしれません。
もし、孤独を感じる時に「このままでいいのか」と思ったら

もしあなたが今、「このままでいいのか」「また失敗したらどうしよう」と感じているなら、
それは悪いことじゃありません。
ちゃんと、自分の人生を自分のものとして考え始めている証拠だと思います。
僕は当時、誰にも相談しませんでした。
というより、相談できる環境がなかった。
強くなきゃいけない気がしていたし、弱音を吐く場所も、言葉も知らなかった。
正直、あの孤独があったから今がある…なんて格好いいことは言えません。
ただ、もしあの頃の自分に戻れるなら
「今のままでいいのか」と感じている自分を否定せずに話を聞いてくれる誰かはいてもよかったなとは思います。
今、世の中には「答えを押し付けないで、話を聞く」そんな関わり方をしてくれる人たちもいます。
たとえば LaFree(ラフリー) は、短期離職を「失敗」ではなくその人の背景として扱ってくれるキャリアコーチングです。
・転職ありきではなく、現職に残る・副業を考える選択も含めて整理する
・「どう生きたいか」を言葉にするところから一緒に考える
・国家資格を持つ人が、評価ではなく対話をしてくれる
無理に変わる必要も、今すぐ答えを出す必要もありません。
ただ、一人で考え続けるのが少ししんどくなった時の“選択肢のひとつ”として知っておくだけでもいいと思います。
👉 無料で相談してみる → LaFree(ラフリー)
まとめ

孤独を感じる時こそ、自分と向き合うチャンスです。
30年前の携帯もない時代のキャンプで感じた孤独は、 今でも自分の中に残る「自分だけの体験」でした。
誰にも見せない、誰にも理解されない。
でも、だからこそ価値がある。
そんな「贅沢な孤独」を、今の時代だからこそ、少しだけ大事にしてみませんか?
関連記事