12月30日 5時に起床
歯磨き、朝食をパンで済ませる
道の駅おおさとを出発して石巻へ
すこし早すぎたか
石巻についてもまだ暗い
車の中で空をぼんやり眺めていると明るくなってきた
石巻の献花台
ここも見渡すかぎりの家の基礎が残る野原となっている
少し前にこの場所に街があった
石巻市 津波 TSUNAMI JAPAN 3.11/2011 - YouTube
石巻市の門脇小学校に到着
屋上付近まで津波の被害が見て取れる
この裏に高台があり校長が大半の児童を誘導し難を逃れた
校舎裏側
目に見える物から当時起きたであろう事を想像していると朝日が登ってきた
石巻に朝日が登る
どんな場所にも平等に時間は過ぎていく
女川地区に移動
【東日本大震災】女川町の津波到達を記録した動画 - YouTube
女川中学校の校庭には石碑が作られていた
紙媒体に残しても水や火に弱い、デジタル化して拡散しても電気がなければ意味が無い
こうした石碑にすることで100年200年と後世に伝えることが出来る
石碑を自然災害が合った場所に作るべきなのかもしれない
地震の恐ろしさを童謡などにするのも、後世に伝えるためのもう一つの手段なのかも・・・
女川町民野球場に移動
ここに入った時は「あれ?仮設住宅にはいっちゃった」と思ったらスコアボードが目に入った
球場にアスファルトをひいてそこに仮設住宅街があった。
仮設住宅のすぐよこに観客席があり、初めて見る光景に驚いた
少し離れた高台から見た女川の街
この手前に見える湾から津波が侵入し女川を襲った
10mの高さのビルの屋上に避難した人たちも飲み込んだ
そして大川小学校に移動
裏山に避難しようという児童を教員が木々などが倒れるから危ないかもしれないと意見が一致せずに逃げるのが遅れたようだ
なぜ子供たちは避難できなかったのか? 大川小学校より - YouTube
慰霊碑の前に作られた天使の石像が大川小学校に手を広げていた
車が続々とやってくる
関西、関東、北海道と色んな地区のナンバープレートをつけている
僕も買っておいた線香に火を付けて亡くなった方々に祈りを捧げた
そして南三陸へ
あの有名な防災庁舎
東日本大震災 宮城・南三陸町住民救った「高台に避難してください」遠藤未希さん - YouTube
ここでも焼香
ここらへんで少し心が疲れたような錯覚が・・・
自分で選んで自分で決めて来たはずなのに
続けざまに被災地ばかりを見ていると胸が締め付けられて辛くなってきた。
すぐそばに仮設の商店街があるそうなのでそこに行ってみよう
続く